誰のために生きるのか

Moments of life
Horizontal side view of a lonely yellow flower growing on dried cracked soil

一昨日、1つのリツィートを
本当に沢山の方に読んで頂いています。
ありがとうございます。

https://twitter.com/amelia53601189/status/1083564030973771776

私は、5年前に命と向き合うことになりました。
急転直下、頭が真っ白になるというのは、
あぁいうことを言うのだと、今なら冷静に振り返ることができますが、当時は自分の身に起きたことを受け止めることだけで精一杯の状況になりました。
私の気持ちが置き去りにされたまま、検査に次ぐ、検査。
やれ代替療法だ、やれ手術だと、私のいないところで、話は大きくなったり萎んだりしたものです。
あの時の自分をひと言で表わすなら「空っぽ」
喧騒はどれも、遠くで鳴り響いている音のようでした。

自分の命の終わりを見つめることは、この平和な時代にはなかなか出来る事ではありません。そういう意味でも、私は、病気になって新たな体験をさせて貰えたことは、貴重な時間だったと思っています。

たくさんのお医者様を渡り歩きました。今思えば、私は誰かに答を出して貰うことを期待していたのかもしれません。

四件目で出会ったお医者様の言葉が、結局は私を、私たらしめる場所へ導いてくれたのですが、その言葉が

僕じゃなく、あなたがどうかということが大事なんです。
あなたの性格が神経質なのかそうじゃないのか。
そうしたことが大切なんだから


誰かに答を出して貰ったり
誰かの真似をしたり
誰かが良いというほうにいく事は簡単だけれど、
それでは何の解決にもならないよ。と
お医者様は分りやすい言葉で伝えてくれました。
(医療のことについてはまた別の機会に書きます)


私は考えました。
私の性格、
何が気になって何は気にならないのか
何が必要で何はいらないのか。
手元に残したいものはなにか。
最後は誰と一緒にいたいのか。
たくさんのことを。

自分がありのままでいられる状態を。

それはもしかしたら
「わがまま」と言われるものと紙一重のところにあるものかもしれません。けれどもそれこそが「わたしたるもの」であり「人を形づくるもの」なのだと思いました。
「自分を生きる」とはまず、そこからはじまるのだと。

「わがまま」に傾かないたった1つのルール。
それは、皆が自分と同じように様々な個性の集まりだということです。
ですから、自分を尊重するように人を尊重すること。


先ずは自分と向き合うこと。
私はこれがとても大切だと思っています。
今、世の中にまことしやかに流れている「利他」という思想には
順番があります。
先ず、「自分を知り、自分を大切にすること」
「自分の命を先ずは精一杯生きること」
これが出来てからの「利他」でないと自分が壊れてしまいます。

私はもう、十分。
偽りの自分を生きて来ました。
だからもう、偽りはおしまいです。

今日も読んで頂きありがとうございました。
また明日。
同じ場所で。









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