父の思い出

私にとって父の存在は、私にとっては「愛」そのものだ。
父が亡くなってからもう12年も経つのに、私は未だに父親っこだ(笑)

親に限らず、
「愛された記憶」はそれがどんなにわずかな時間でも、
人を支えるものになる。

父は包丁を持つのが好きだった。
皆で集まってご飯を食べるのも大好きだった。人が集まると、父の故郷である北海道のジンギスカンを皆で良く食べた。モクモクとあがる煙とジュージュー肉の焼ける音を今でも思い出す。

思い出って、匂いや音とと繋がっているなぁと思う。

父との思い出の中でも一番は、幼稚園に届けてくれたお弁当だ。
その日母は会合で出かけていて、幼稚園の昼時ぐらいに、父が幼稚園までお弁当箱を届けてくれたのだ。
お昼。蓋を開けたら、ウィンナーを巻いたロールサンドと卵焼きが入っていた。私の中の一番最初の嬉しい記憶が父の作ってくれたこのお弁当のことだから、どれほど嬉しかったのか、良くわかる。

そしてもう1つが、母が留守の日曜日に父と並んで作った「蕎麦」がある。
ちょうど蕎麦が出来上がる頃、父が台所の窓を開けると、雨上がりの空に綺麗な虹がかかっていた。不思議だけれど、まるでシャッターでも押したように、そこだけ切り取られた記憶として残っている。

父と母が離婚をして20年後。私は父と再会をした。
再会して12年、父が亡くなるまでの間にも、父は私と会う度に、ご飯をつくってくれた。父の「鰹のたたき」は今でも無性に食べたくなるものの1つ。
そう、父との記憶にはいつもそこに「ご飯」と「愛」がある。

笑い方に特徴があって、お店に食べにいくとお姉さんにあれこれ声かけちゃうようなおちゃめな父。
なんだか今日は急に恋しくなって、父のことを書いてみました。

決して恵まれた親子関係ではなかったけれど、
今、こうしていられるのは、間違いなく父の愛のおかげです。
ありがとうね。お父さん。
お母さんとも、去年仲直りしてるから安心してね。


今日も読んでくれてありがとう。
また、明日。
この場所で。